■ULTIMATE ZERO9 PlayBack!「過去の全国大会解説」
1998年に産声を上げ、稼動から11年の月日が流れこれまでに数多くのプレイヤーが世代交代を繰り返してきました。
そしてテクニックも年月と共に大きく変わり初期と現在では駆け引きが変わるほどの変化がありました。

そこで当コーナーでは過去の全国大会を動画と共に振り返り、進化の歴史を少しだけおさらいしたいと思います。


更新スケジュール
・第1回 『第2回全国大会』
・第2回 『第3回全国大会』
・第3回 『全国団体戦2001』 『ULTIMATE ZEROU』
2002年3月31日町田ビートライブ ULTIMATE ZEROU 

大会ビデオジャケット

大会パンフレット




現在も続くULTIMAE ZEROシリーズの第2段。
現在も残っている公式HPとパンフレットのクオリティの高さや過去に例の無い本格的な大会演出、後に継がれる事になる個人、団体戦の2本立て大会が話題となった。

個人戦は第3回全国大会以来の開催となり
「システム、コンボ研究やキャラの最終系が見えてきた今、誰が最強か決めたい」というコンセプトの下開催された。
ネタバレを回避するため当日予選1本に絞って出場した西川口ダルシムが完璧なキャラ対策と研究で圧倒的強さを見せ優勝。本人にとってまさに理想とも言える計画通りの優勝であった。


団体戦はV豪鬼同キャラ戦に苦手意識を持ち、毎年同キャラ戦という壁に阻まれ敗退しているD44が全国の強豪V豪鬼を3人集めた「チーム笑止(D44、ホソカワ、KNM)」に注目が集まり前予想でも最も優勝に近いチームとされ、前評判通り豪鬼のポテンシャルの高さを存分に発揮し、準決勝での対「チーム焼死!(トツカ、珍、メダル)」戦や決勝の「第二代目梁山泊(西川口ダルシム、モリカワ、ズミ)」に苦しめられながらも大将戦でD44が個人戦覇者西川口ダルシムを下し優勝を決める。

2002年当時の時点でV豪鬼は高い精度のダウン投げOCや補正切りが標準装備されており、いち早く最終系を完成させたキャラとなる。
その揺ぎ無いと思われていた最強キャラV豪鬼に対抗すべく今大会以降永パキャラの研究が急速に発達していく事になった。


おまけ
個人戦は1回戦でナイキロレントに、団体戦はベスト8(?)で「お嬢様にお任せ」チームに負け敗退しました。
2001年3月25日町田ビートライブ 全国団体戦2001 

大会ビデオジャケット

大会パンフレット




第3回全国大会でZERO3業界を引っ張ってきたプレイヤーが引退し、新たな世代となる埼玉、南越谷勢と当時行われていた渋谷会館ランバト主催者が手を組み実現した待望の全国団体戦。

ダークホースと言われていたタバタケ、マツの千葉勢やカリン×3、春麗×3のチーム等、見所やバラエティのあるチームが多くエントリーし、話題を呼んでいた。

大会の中身はと言うとV豪鬼の攻略が全国で最も進んでいる名古屋のV豪鬼軍団(ななせ、一回戦豪鬼、ホソカワ)が猛威を振るい、関東の優勝候補である「ゴキブリ(モリカワ、ズミ、西川口ダルシム)」「渋ラン選抜(マコト、バQ、ツバル)」や東西のトッププレイヤー同士が組んだ混成チーム「チームなっち(D44、牛、ちゃP)」があっという間に飲み込まれ豪鬼のポテンシャルの高さと攻略レベルの高さを見せ付けられた大会であった。

決勝戦は圧倒的な実力で勝ちあがってきたななせ豪鬼率いる「チームPSO(ななせ、はる、NEO3)」に対し、磐石なキャラクター構成で手堅く勝ちあ上がってきた「まほの…(超林真須美、うせ、てるちか)」チーム。
この日敗者復活戦でヌキサクラを地上戦で圧倒し覚醒した超林真須美が「足払いの町」と言われる地元、南越谷スタイルを披露し、桁違いの地上戦能力を見せ3タテし幕を閉じた。


おまけ
ちなみに管理人はキャラ替えしたソドムで初の全国大会。
決勝トーナメント2回戦でバQ氏のZロレントに3タテされて敗退しました。
2000年8月13日京都ナムコワンダータワー 第3回全国大会 

予選通過者に配られたネームプレート

大会チラシ




第2回全国大会以降から着地キャンセルの存在が明らかになり、第3回全国大会までの一年は最もZERO3のシステム研究が進んだ年であった。
Vリュウ、V春麗、Vコーディの永パ。Vサクラ、Vナッシュ、のエリアル。豪鬼のダウン投げOC。ガイの着キャン獄鎖等はすでに実戦投入されており各キャラクターの進化形態がぼんやり見え始めてきた頃であった。

プレイヤーに視点を当ててみると今大会後、長い間活躍する事になる超林真須美、ズミ、まほ、西川口ダルシム、VER、ホソカワ、KNM、SHINYA、ナイキ、ななせ、等のプレイヤーが台頭した大会でもあり、特に関東では稼動初期から活躍していた上位陣がカプエスに移行すると同時に上記のプレイヤーと世代交代となった。

決勝戦はうせ氏vsウメハラ氏。
前大会決勝で熊谷ザンギ氏に破れウメハラ氏だが今回も決勝の相手はVザンギ。
うせ氏が鬼の見切りでの立ちスクリューや超破壊力のダウン投げOCで1本先取し、見ている者が「もしや…」と感じるシーンもあったが「1人だけターボスピードが違う」と言われる独特の立ち回りで取り返し、ラストは今や伝説となっているドラゴンダンスでKO。

この辺りの時期からVismの占める割合に拍車がかかり、特にXismの大会参加者はほぼ全く見られなくなる。


おまけ
ちなみに管理人は2回戦でウメハラ氏に波動昇竜のみで完封されある意味歴史に残る負け方をし敗退しました。
1999年11月21日千葉県市川氏文化会館 第2回全国大会 

大会ビデオジャケット

大会パンフレット



カプコンのオフィシャル大会からおよそ1年。
当時としては異例の移植の早さで家庭用が移植され、ランキングバトルに毎週4,50人が集まる程であり。その人気はピークであった。


当時ウメハラ氏はVリュウ最強説を唱え、高速で押し込む旋風竜巻、ガード困難とされていたアレコン、超破壊力の端オリコンに加え、飛んだときだけ撃ってない波動拳、通称 「ウメ波動」や何気無い牽制にピンポイントで合わせてくる通称「ウメ昇竜」で他を寄せ付けない独特の強さで今大会最有力の優勝候補とされていた。

対する熊谷ザンギ氏は当時東京ランバトで「ザンギ四天王」の異名も持ち、チームメイトに東京ランバトトッププレイヤーである『ツバル』氏『D44』氏を加え鉄壁の布陣で大将を出す事無く決勝戦まで勝ち進んできた。

10年前と思えない完成度の高い動きや、98年のオフィシャル全国から考えられない程進化した立ち回りとOCに注目して貰いたい。この大会後辺り(99年後期)に着地キャンセルが発見され、翌年の全国大会に向け実戦、実用化に向け急速に進化していく時期であった。それに伴Vism以外のismがOCの進化と同じ速さで淘汰されて来た時代でもあった。

ザンギ四天王
初期の東京ランバトで活躍していた
「熊谷ザンギ」「マコト」「杉ザン」「井上」 (敬称略)
等の事。

おまけ
ちなみに管理人は『ひだっち』氏のVカリンに一回戦で3タテされ終わりました。
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